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更新日:2010年11月30日
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第1章 PTAのおいたち
PTAは、どこで、どのようにして生まれたのでしょうか。
日本のPTAは、どのようにして誕生したのでしょうか。
バーニー夫人の活動
PTAの歴史は、児童愛護と教育環境の整備をめざしたアメリカの母親運動からスタートしました。創始者であるバーニー夫人は、生まれて間もないわが子の無心な寝顔を見つめて、生命の神秘と親としての厳かな責任に強い感動を覚えました。そして、尊い生命を守り、この無力な幼子を健やかに育て、望ましい環境に迎え入れるために「母の会」を作ろうと決心しました。
当時のアメリカは、急激な工業化と都市化が進み、繁栄の時代を迎えましたが、青少年を取り巻く環境は必ずしも良好ではありませんでした。このような状況の中で、バーニー夫人の訴えは多くの母親たちの共感を呼び、運動に参加する人々の輪が広がりました。
1897年、バーニー夫人は、ハースト夫人の協力を得てワシントンで全米母親大会を開き、「全国母親協議会」を発足させました。バーニー夫人は、その機関紙の中で「全国母親協議会は、信条、人種、身分の差別なく、全ての親と子と家庭のためにある。その舞台は世界であり、その組織は全人類である。」と述べています。この言葉に示されているように、創設者の精神と夢はヒューマニズムに満ちており、また、この運動の背景には、女性の自覚と社会的進出があったことを忘れてはなりません。
父母と教師の会の成立
その後、協議会は、子どもの全人格を健やかに育てるには母親だけの力では限界があることを反省し、父親と教師に運動への参加を呼びかけました。その結果、1907年には、同協議会に「父親と教師部」が設けられ、各地に地区組織が作られました。
そして、1924年には「父母と教師の全国協議会」が結成され、これが現在の父母と先生の会(PTA)の母体となりました。現在、PTA活動の盛んな国としては、アメリカ合衆国をはじめ、日本、カナダ、フィリピン等を挙げることができます。
日本でのPTAの誕生
わが国にPTAが誕生したのは、太平洋戦争後のことです。既に1908(明治41)年、日本の代表も全米母親大会に招かれており、昭和初年には、両親教育活動を試みる動きもありましたが、本格的なものにはなりませんでした。
1946(昭和21)年、日本の教育の民主的改革を進めるために来日した米国教育使節団は、その報告書の中でアメリカの成人教育に大きな役割を果たしているPTA活動について触れました。
この示唆に基づいて、文部省もPTAの結成を呼びかけることになり、1946(昭和21)年12月、都道府県社会教育主管課長会議を開いてPTAの趣旨を説明しました。ついで1947(昭和22)年3月には、「父母と先生の会―教育民主化への手引―」という資料を配布し、PTAの設立を奨励しました。
このようにして、昭和22年から23年にかけて全国的にPTAの結成が進み、1950(昭和25)年4月までに全国の小・中・高の約98%の学校に単位PTAが生れました。また、市町村や都道府県に、市PTA連合会・県PTA連合会等の連合組織が作られ、1952(昭和27)年には「日本PTA全国協議会」と「全国高等学校PTA協議会」が発足しました。
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