重要なお知らせ
更新日:2000年11月30日
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栃木県環境森林部自然環境課 電話 028-623-3211
栃木県県南環境森林事務所 電話 0283-23-1441
※申請手続きについては、行為予定地エリアをご確認の上、所在する各市担当課にお問い合わせください。
(平成22年4月1日から市町に権限が移譲されています。)
佐野市市民生活部環境政策課 電話 0283-20-3013
栃木市建設部公園緑地課 電話 0282-21-2413
ここでは、比較的樹齢の高いアカマツと落葉広葉樹の混じった林がよく見られます。
特に、唐沢山の一帯は樹齢100年を超えるアカマツが生育し、この区域の代表的な植生となっています。
このほか、北西斜面にはスギ林、東南斜面にはハギの群落、唐沢城址周辺にはツツジの群落が見られます。
アカマツ林では、オオタカやサシバなどの猛禽類が好んで営巣します。
サシバは、カラスと同じくらいの大きさのタカで、春に南の国から渡ってきます。
初夏になると松林の上を「ピックィー」と鋭く鳴きながら飛んでいる姿が見られます。
トビは尾の先に凹みがありますが、サシバは尾の先が丸くなっています。
カエル、ヘビ、大型の昆虫などを食べ、秋になると愛知県伊良湖岬や鹿児島県佐多岬の上空に集まり、南に帰っていくことで有名です。
唐沢山の北西部に当たる葛生付近は、石灰石とドロマイト(苦灰石)の産地で有名ですが、100万年前もの昔、この地域は海でした。石灰岩層は、海底にウミユリやフズリナが堆積してできたものです。一方、ドロマイト層は、それらが堆積する際、塩分濃度と水温が高かったためカルシウムの一部がマグネシウムに変わってできたものです。
これらの石灰岩・ドロマイト層は、石灰岩から産出する化石から、古生代二畳紀と判断されています。
唐沢城は、藤原秀郷が唐沢山に築いた城で、平将門を滅ぼした天慶3年(940年)頃に築城されたといわれています。
秀郷の子孫である佐野氏が、17世紀はじめ佐野市内の春日城(現在の城山公園)に移るまでの居城でした。
明治14年(1881年)、山頂付近の本丸跡に秀郷を祀る唐沢山神社が創建されました。
境内には、当時の面影を偲ばせる石垣、塹壕の一部、御茶の水に使用されたという車井戸、清水が常に湧き出している直径8m、深さ9mの大炊の井戸などの古跡が残っています。
また、藤原秀郷や築城にちなんだ伝説がたくさん残されています。
天平9年(737年)、僧である行基が勅令によって諸国に国分寺・神護寺を建立したうちの一つで、後に道忠が住職のとき、行基菩薩の作による薬師如来が安置されたといいます。
その後、弘仁6年(815年)、伝教大師により相輪塔が建てられました。
境内には、七堂塔めぐりの巡拝コースがあり、その中には、心に願い事を念じて打つとその願いが叶うといわれる「開運の鐘」などがあります。
また、病気平癒のため参籠した小野小町の墓、碑が、大慈寺の入口近くにあります。
大化2年(646年)、紀州熊野大神日枝神社を歓請して創立した古い神社で、後に八幡神社を合祀したと伝えられ、延喜式内社として崇拝されています。
現在の本殿は、室町時代に建築された三間社春日造がそのまま現存する貴重なものなので、国の重要文化財に指定されています。
本殿左側の柱には、左甚五郎の作と伝えられる狐の彫刻があり、昔、変事があるときには、色が青く変わったという伝説があります。
また、村檜神社の裏山には「小野寺憩の森」が整備されています。
唐沢山の南に位置する浅間山の山頂に、浅間神社があります。
ここで、毎年7月の第3土曜日に「浅間さんのお焚き上げ」とも呼ばれる「浅間の火祭」が行われます。
藤原秀郷が唐沢山に築城してから、藤原氏の威勢を示すために山上で火を焚いたのがおこりといわれます。
夕方、山頂の神社で無病息災、五穀豊穣を祈願し、その年にとれた小麦のわら、約150束に火をともす「点火の儀」が行われ、訪れた人たちが手に持った松明にその火をもらい、山を下ります。
遠くから見ると、山頂までの参道が暗闇の中ほのかに浮きあがり、とても綺麗です。
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