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更新日:2023年12月27日
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男体山(標高2,486メートル)は、日光火山群から独立した富士山型山容をもつ、溶岩と火山砕屑物とが交互に堆積して形成された成層火山で、地形解析上は、幼年期から壮年期への変遷過程にあり、山頂から四方へV字型の浸食谷が発達しつつあります。
深い谷は、薙刀(なぎなた)でえぐったような形状から「薙」、「堀」と呼ばれ、その深さは100メートルに及ぶ箇所もあります。
男体山の崩壊地の復旧は、砂防と治山の両事業により行っており、治山事業としては民有林補助治山事業(県)が昭和33年から、民有林直轄治山事業(国)が昭和35年から着手し、以来約半世紀に亘り継続して実施してきました。
男体山には、南東斜面の大薙・小薙・中薙・白薙・大平薙・前薙、北斜面の湯殿沢・ハナタテ沢・薬研堀及び南西斜面のパンヤ薙・セッチン薙・観音薙・妙見堀・十一番堀等大小20余りの崩壊地があります。
このうち、南東斜面の一部は民有林直轄治山事業(国)で実施され、それを除いた民有林について、栃木県が実施してきましたが、平成21年度に民有林直轄治山事業が完了となり、平成22年度からは栃木県がこれを引き継ぎ、治山施設の維持管理、整備を行っています。
南西斜面の直下に位置する中宮祠地区には、民家、ホテル、国道・学校・診療所等の公共施設や日光二荒山神社中宮祠等の重要な保全対象が存在するとともに、日光国立公園の中枢を担う観光地として、毎年多くの人がこの地を訪れています。
表男体地区(南西斜面)における主要な災害の記録は、表-1のとおりです。
特に、明治35年(1902)、台風の通過による豪雨により、7合目付近を頭に大崩壊が発生し、下方にあった立木観音が中禅寺湖に流出したため、この崩壊地は「観音薙」と名付けられました。この時の大災害は神社と小学校にも被害をもたらし、4名もの貴い命が奪われました。
男体山で発生する崩壊は、長大な山腹面を削り取り大量の土砂を流出するため、直下の民家等の保全対象に甚大な被害を及ぼすことが多くなります。崩壊の原因としては、地質が極めて脆弱なことや夏季の集中豪雨、冬季の凍結融解作用など気象的な悪条件が主因となっています。
下の写真は昭和41年の崩壊地の状況と中宮祠の被災状況です。
表-1
発生日時 | 災害発生起因 | 記事 |
明治35年9月 | 台風 | 観音薙で大規模な崩壊及び土石流が発生して、立木観音堂、二荒山神社、小学校が被災した。 死者4名。 |
昭和41年9月 | 台風26号 | 中宮祠雨量417ミリ(最大日雨量) パンヤ薙、セッチン薙で土石流が発生して、下流の国道まで土砂が流出した。 |
昭和47年9月 | 台風20号 | 中宮祠雨量532ミリ(最大日雨量) パンヤ薙源頭部で崩壊及び土石流が発生して、治山事業で施工した谷止工が被災した。 |
昭和58年8月 | 台風5号 | 中宮祠雨量307ミリ(最大日雨量) 観音薙の左沢が激しい浸食を受けて治山の施設が被災した。 |
平成3年8月 | 台風14号 | 中宮祠雨量362ミリ(最大日雨量) 十一番堀で大規模な崩壊、土石流が発生して、下流の国道まで土砂が流出した。 |
昭和33年から治山事業に着手し、パンヤ薙、セッチン薙、観音薙、妙見堀、の4崩壊地については、現在まで谷止工群及び山腹基礎工の系列的な配置をすることにより、薙内に堆積した土砂の移動抑止、薙の山脚固定及び拡大防止が図られ、ほぼ安定した状態になってきました。特にパンヤ薙とセッチン薙については、現在では周囲に樹木が成育してきて、対岸から見ても薙の存在すら判らなくなっています。
観音薙においては、平成18年度の事業をもって概成に至り、現在は拡大崩壊の発生の有無や周囲の植生の回復状況を観察しています。
十一番堀については、平成3年度の災害発生後、源頭部の下部に谷止工を施工しました。下流については国が行う治山事業及び流末における砂防事業とが連携して、整備が図られました。
男体山周辺は日光国立公園の第一種特別地域及び第二種特別地域内に位置していて、男体山とその裾野に広がる中禅寺湖、戦場ヶ原の雄大で美しい景観は多くの観光客を魅了しています。このため、治山事業の実施に当たっては次の3つのことに留意しています。
これまで当地区においては、中禅寺湖に点在する眺望地点からの景観に配慮するため、既設工作物に対して、種々の試みによる修景工を実施してきています。
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