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更新日:2018年10月1日
益子焼は、嘉永6年(1853)、笠間で修業した大塚啓三郎が益子の根古屋に窯を築いたのが始まりとされています。優れた陶土を産出すること、大消費地東京に近いことから、当初は主に鉢、水がめ、土瓶といった日用品の産地として発展しました。釉薬には柿釉とよばれる地元で産出する芦沼石などが使われています。大正13年(1924)には陶芸家の濱田庄司がこの地に移住します。濱田は柳宗悦らと共に民藝運動を進め、「用の美」という名もなき職人が作る工芸品にも美が備わっている、とする新しい美意識を広めました。地元の工人たちは大きな影響を受け、その結果益子焼は芸術品としての側面も持つようになります。現在、窯元は約250、陶器店は約50。若手からベテランまで、多種多様な陶芸家たちの作品がそろいます。
問い合わせ先
益子町教育委員会生涯学習課 0285-72-3101
益子町産業建設部観光商工課 0285-72-8846
太々神楽は、12神楽、36座、宮毘講員20名が継承しております。
写真の演目は、天若彦・鬼女及び武美賀槌乃命の舞。
むかし、むかしこの世の初めは、天と地の区別がなく、ただ、もやもやとしていた。
やがて、このもやもやが二つに分かれて清く澄んだものが天に、濁ってどろどろしたものが地となった。天照大神が天を支配し、大国主命が地を支配することとなる。
天照大神は、天孫降臨に先立ち、大国主命に国土返上する様、天若彦に命じたのです。しかし天若彦は役目を果たすことはなかった。
神楽では神前に進み、静かに幣舞を舞っていますと、そこに優しい顔と鬼の顔を持った鬼女の下照姫が現れます。
天若彦は、鬼女に誘惑されまいと、鏡を向けて応戦するが、艶めかしい色香に誘惑され負けてしまいます。そこに天照大神の使者、武美賀槌乃命が天罰を与える為、十拳剣をふりかざし現れ、闘いの末ついに、鬼女を退治すると言う神話です。
問い合わせ先
芳賀町生涯学習課 028-677-0009
かつては、「真岡」といえば、そのまま木綿の代名詞として通用した時期がありました。
丈夫で質が良く、絹のような肌ざわりの真岡木綿は絶大な人気を得て、江戸時代の文化・文政・天保の頃には年間38万反を生産し、隆盛を極めました。
当時、江戸の木綿問屋はこぞって真岡木綿を求め、木綿の仕入高の約8割が真岡木綿であったという記録があります。
しかし、開国による輸入綿糸流入などで衰退し、戦後はほとんど途絶えていましたが、昭和61年に真岡商工会議所が中心となって真岡木綿の「復興」を図り、昔ながらの技術と伝統をしっかりと受け継ぎ、今に伝えています。
綿の栽培から糸紡ぎ、染め、織りまでを手作業で行う真岡木綿。その素朴な風合いと肌ざわりの良さが多くのファンを魅了します。なお、真岡木綿会館では、糸紡ぎや生産工程が見学できるほか、機織り、染色体験ができます。
※日本商工会議所と全国観光土産品連盟の共催で開催されました2017年度全国推奨観光土産品審査会で真岡木綿の「印鑑入れ」が民工芸部門で特別審査優秀賞を受賞しました。
真岡木綿製品 真岡木綿の着物
問い合わせ先
真岡木綿会館 0285-83-2560
杉山地区にある久木八幡宮の春の小祭(4月第1日曜日)に奉納される神楽の舞で、保存会の会員によって演じられています。
舞のには、天孫降臨、五穀豊穣、更には人の道を教え、その前に立ちはだかる邪気や悪鬼を祓い清め、万民の天下泰平、生活の安寧などの願いが込められており、荒々しいもの、コミカルなものなど幅広く演じられ、地域の子どもから大人まで多くの人々に親しまれています。
問い合わせ先
市貝町教育委員会事務局生涯学習課 0285-68-0020
北高岡の獅子舞は、今から約400年前の戦国時代に始まったと伝わります。茂木一帯の五穀豊穣の祈願と茂木百騎の士気を鼓舞するために奨励され、村内の長子が代々舞を引き継ぎ、古老からの厳しい指導で稽古に励みました。音曲歌舞は口伝で、伝承技芸の記録文書は残っていません。現在は北高岡獅子舞保存会によって伝承されています。
上演は、8月13日の盆と、10月最終日曜日(2018年は10月28日)の田の神神社祭礼への奉納の、年2回です。
問い合わせ先
茂木町教育委員会事務局生涯学習課図書文化係(ふみの森もてぎ) 0285-64-1023
お問い合わせ
文化振興課
〒320-8501 宇都宮市塙田1-1-20 本館7階
電話番号:028-623-2152
ファックス番号:028-623-3426